着物の近代史

こんにちは。大阪府箕面市を中心に北摂地域で、出張着付けや着物教室をしております、たま着物教室の川田たまきです。

着物の整理をしておりましたところ、大正生まれの祖母の着物や帯が出てきましたので、今日は着物が一番楽しかったのではないかと思われる大正時代を中心に、明治、大正、昭和の着物の歴史について少しお話いたします。

着物の歴史

縄文時代の貫頭衣に始まり、現在のような形になるまでに着物は、様々な変遷を遂げてきました。古墳時代から、日本人は何かしらの紐で腰のあたりを結んでいますが、現在のような太い帯を結ぶようになったのは江戸時代で、この時期に現在の和服につながるものの殆どが生み出されたと言ってもよいでしょう。振袖や袴、足袋なども江戸時代に誕生しました。今から約400年ほど前ですね。

着物の明治時代

今から約150年前、明治時代になると、西洋文化の感化を受け、官吏の礼服や、軍服も洋服に制定されます。さらに断髪令や廃刀令も出されて、お侍さんが軍人になりました。一方、女性の間では、洋髪と切り袴が大流行。大和和紀さんの漫画「はいからさんが通る」に見られるような、女学生が頭に大きなリボンを付け、矢絣の着物に袴を着け、編み上げ靴を履いた姿は、当時の流行最先端でした。そんな姿で自転車をかっ飛ばす女学生達は当時のおじさん達の度肝を抜いたようです。ちなみに、ドレスなどの洋装は、上流階級の女性にのみ用いられ、一般的には着物姿だったのです。

着物の大正時代

武庫川女子大学付属総合ミュージアム設置準備室 2019年秋季展覧会より

この写真は、大正初期に実際に着られていた訪問着なんです!重ねて着るようになっていて、左の赤い麻の葉模様の方を下に着ます。現在の訪問着のように肩に模様もない上に、三つ紋も付いたものです。留袖ではないんだそうです。訪問着が誕生したのは、大正初期。女性の外出行動が一般化し、留袖では堅苦しい音楽会や観劇用、いわゆるお出かけ用のおしゃれ着へのニーズが高まったことから生まれました。写真の着物はその過渡期のものです。

大正時代には羽織なども定着して日常的に着られるようになりました。また、この時代に出来たカフェでは、きものにエプロン姿の女給さん達が活躍。ちょうどこの時代の谷崎潤一郎さんの小説、「痴人の愛」の主人公、奈緒美も最初はカフェの女給さんでしたね。染色技術の向上もあって、銘仙やぼかし染めなどの派手な着物が流行します。この時代に流行した紫色は化学染料による代表的なものです。この時代の女の子達は、かなり大胆で自由な組み合わせで着物を着こなしていたようです。日本女性が徐々に社会進出してきたのが分かりますね。

昭和の着物

昭和に入り、第二次世界大戦が始まると、「贅沢は敵だ」という社会風潮になり、様々なものが規制されます。着物も例外ではありませんでした。街角には、ハサミを持って「お袖を切りましょう」と呼びかける、筒袖モンペ姿の女性達が立っており、着物のお袖は無駄な贅沢となってしまいます。そして、戦争が終わると、洋装が主流となり、着物はだんだんと日常的な衣服ではなくなりました。そしてまた、着物の組み合わせなどについても色々と決まり事ができたのが昭和時代です。敗戦により、全てが変わってしまったということですね。

武庫川女子大学付属総合ミュージアム設置準備室 2019年秋季展覧会より

平成、令和の着物

相良刺繍

価値観や生活様式も全て戦前とはコロリと変わってしまった現在、着物は何かイベントの時に着る特別なものになりました。コスプレにさえなっていたりする昨今ですが、日本の美しい良いものとして認識されているのは間違いありませんね。染色の技術も発展し、今では振袖や浴衣もプリントで作られるようになっています。職人さんの手作業による着物や浴衣は数少なくなっていますが、ぜひ、本物を知る人が増えて、伝統を繋いでいけることを願ってやみません。

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